| ひみつ日記 |
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タフガイのタフガイによるタフガイのための日記です。 |
| ■ 2006/02/13 |
「シャイな理系男の中には、人に近づいて拒絶されるのを怖れるあまり、わざと相手がうんざりするような態度をとって、その人が自分の「予想通り」自分から遠ざかっていくと寂しさを覚えながらも安心する、というタイプの人がいる」 なんということ。 まるで文章がぼく一人を標的にしているかのような幻が脳裏をよぎる。怖ろしい。 これは改めねばならぬと痛感してみた。 そのため今年は、興味のある人には自分から積極的に近づいていこう、という目標を設定してみた。 とはいえ、ここ三十四年ぐらい人間に接近した記憶が欠落しているので、どうやって近づいていけばよいのかわからないのが困りものだ。 どのようにして、自分の好意を表現すればよいのか。これがぼくには、いまいちわからないわけである。 ここはやはり、得意のラジオ体操第二の出番ですかね。 業界のみなさん、もしぼくが会話の途中で突然ラジオ体操第二を始めたら、「あ、自分に好感を持ってくれているのだな」と理解していただければ幸いですよ。 ていうか、そもそも目標の設定が思春期の中学生なみ、という問題。 あと、ほんとはラジオ体操第二なんて踊れない。 |
| ■ 2006/02/06 |
冗談というのは、作り手の不安を消すための抜け道でもあるんですよね。 それにしても、今日もまた何もない一日でした。 少し働いて少しDVDを見て少し昼寝したら、もう夜ですよ。 ほんと平凡な一日の過ごし方ですよ。 ちょっと変わったことと言ったら、寝室でうっかり色違いの床を踏んでしまったことぐらいでしょうか。 トゲトゲの吊り天井が降りてきて、クローゼットからは動く死体が飛び出してきました。 |
| ■ 2006/02/05 |
さすがにその日は飛び出すのに時間がかかった。 あたりはどんどん薄暗くなってきていた。そして、暗くなればなるほど飛び出しづらくなり、やがて日は落ちて周囲はほとんど暗闇になった。 するとふいに、 「降りれへんようになった……」 という小さい声が上から降りてきた。泣き声まじりにも聞こえた。 「誰か呼んでくる」 とぼくが言うと、 「怒られるからやめて」 となっちゃんは答えた。しょうがないので懐中電灯を家から持ってきて、自分で7段のあたりまで登り、下から手を伸ばして彼女の身体を支えたりして、なんとか地上まで二人で降りた。 「大丈夫?」 とぼくが聞くと、なっちゃんは怒った顔をして、何も言わず走り去っていった。 その後、帰り道で待ち受ける彼女の姿はなくなった。ぼくもなんとなくバツが悪く、一か月ぐらいは話しかけることもできなかった。 が、ある日いつものように野球から帰る途中、久方ぶりになっちゃんが道ばたに立っていた。 近づいてきた彼女はふいに、 「あげる。この前のおれい」 と言って、551の豚まんの紙袋を差し出した。 そして、中にあったいびつな塊を見て、ぼくははじめてバレンタインデーというものの存在を知ったのだった。 (完) いやあ、実にいい想い出話である。まったくもって、感動秘話と言う他はない。 あえて、まことにあえて重箱の隅をつついて難点を挙げるとするならば、この話はおおよそ作り話だということのみである。 ……何度か使ったオチ。 |
| ■ 2006/02/03 |
なっちゃんはすぐに5段では満足しないようになった。 ぼくの興味を引っ張ろうとしていたのか、彼女は毎日目標を少しずつ上に設定した。そのため、次の日は5段よりも少しだけ上、その次の日は5.5段のあたり、そしてその次は……、とどんどん高さはエスカレートしていった。 で、ついには、 「今日は8段いくよ」 と言い出した。 8段となると、見た目もうほとんど断崖から飛び降りるような感覚になる。下から見ると斜面はほとんど垂直のようで、高さもビルの3、4階ぐらいにはなるはずだった。斜面そばの木も、水平方向に生えている感じである。 やめた方がいいよ、とぼくは止めたのだが、なっちゃんは引かなかった。なんでそんなに頑固になるのか、ぼくにはよくわからなかった。 彼女はダンボールを片手に、ロッククライマーのように斜面を登っていった。そして20分ぐらいかけで、ようやく8段の位置にある横向きの木の幹に到達した。木に手をかけて下を見ているなっちゃんの姿は、こちらからはずいぶん小さく見えた。 さすがになかなか思い切りがつかないのか、彼女はそこで胸をおさえて何度か深呼吸をした。 別に引っ張るわけじゃないんですけど、以下次号ということで。 |
| ■ 2006/02/01 |
書くこともないので、今日はその想い出話でもしてみよう。 小学4年生の頃、近くにちょっと気になる女の子が住んでいた。 ショートヘアで活発な子なのだが、男の子っぽいという感じではなく、まあイメージ的に言えばマナカナとかなっちゃんとかそんな感じの子だった。 なのでここではなっちゃんと呼ぶことにしよう。 これはそのなっちゃんにもらったチョコレートの話である。 当時ぼくは毎日、近所の空き地で野球をして遊んでいた。 野球といっても、ゴムボールでやる三角ベースのテー球野球ですけど。 で、ある日の夕方、空き地から家に帰る途中、道ばたになっちゃんが立っていて、こちらをじっと見ていた。どうやら、ぼくを待っていた様子だった。あまり一緒に遊んだこともなかったので、ぼくは少し戸惑った。 彼女はふいに、 「ちょっと来て」 と言って、ぼくを近所の山裾まで連れ出した。そこは山肌が露出してスキーのジャンプ競技場みたいになっており、砂質もサラサラで滑りやすく、そのためダンボールなどをソリにして滑り降りるのが子どもの間で流行っていた場所だった。 なっちゃんはそこでぼくに向かって、 「わたし5段滑れんねんで」 と言った。 5段というのは、子どもらが勝手に設定していた斜面の高さレベルのことだった。上に行くほど勾配がきつくなっていて、初段が1メートルぐらいの高さ。10段が崖のてっぺん、といった感じだった。つまり5段は斜面の真ん中あたり、ということになる。ただ、真ん中あたりといっても2階ぐらいの高さはあり、勾配もたぶん50°近くあって、そこから滑るのは上級生の男子ぐらいのものだった。 「いけんのん?」 とぼくが訊くと、なっちゃんは、 「うん」 とぶっきらぼうに言って、ダンボールを持ったまま斜面の脇に生えている木を伝い、器用に上へ登っていった。そして5段の高さのところまで行くと、ちょうどジャンプ選手のように斜面の中央にスイっと飛び出し、ダンボールのソリに乗って見事に下まで滑り降りてきた。 「すごいなあ、なっちゃんすごいなあ」 ぼくがそう絶賛すると、なっちゃんは輝くような目をして、フフンという笑みを作った。ずいぶん照れくさそうな笑顔だった。が、その後はほとんど何もしゃべらず、「じゃあ」とだけ言ってなっちゃんはさっさと家に帰っていった。 なんだったんだろう、とぼくは夕闇の中でちょっとだけ首を傾げた。 ただ、それから毎日彼女は帰り道でぼくを待ち受けていて、高いところから滑り降りるさまをぼくに見せた。 ぼくは毎日、 「すごいなあ、なっちゃんすごいなあ」 と言った。 以下、次号。 |
| ■ 2006/01/28 |
ちなみにわたくしは、焼肉もカラオケもお化け屋敷も一人で入る天才児として有名ですよ。 こないだ東京に行ったときなどは、世の作家さん達が忘年会で盛り上がってたらしいのをよそに、夜の観覧車に一人で乗ってましたよ。 それはそれとして、回転寿司のベルトを見てて、ドリフのコントだったらこのスシベルトにおばあちゃんとか乗って流れてくるんだろうなと思い、するとふいに自分のおばあちゃん(20年ぐらい前に亡くなった)のことを思い出して目の奥が熱くなったりした。 が、こないだ観たシェルタリングスカイという映画で、 「昨日見た夢の話を人に聞かされることほどうんざりすることはない」 と言ってヒロインがキレるシーンがあったのを思いだし、個人的な感情を日記に書いても読んでる人にとってはつまらないなと思い、そんなわけで今日も書くことがなくなるという結論。 回転寿司に行ったのを書かないだけで日記に記すことがなくなってしまうというあたり、ぼくの波瀾万丈の人生ぶりが窺える。 |
| ■ 2006/01/24 |
「観てやったよ。光栄ですと言うがいい」 とメイルしてあげたら、 「くるしゅうない」 という気が狂った返事が返ってきた。 めでたしめでたし。 ……2週間ぐらい家から一歩も出てないので、日記に書くことがない。 |
| ■ 2006/01/20 |
「フリーダイヤルというのは〜、通話にお金がかからないシステム〜♪」 というフレーズが頭から離れなくて困っている。 脳にこびり付いているかのような感じである。 キアヌリーブスの青ヒゲなみの頑固さと言っても過言ではない。 |
| ■ 2006/01/14 |
しかし、パンツにはいまなお、人の知性が及ばぬ未知の領域がある。 それは心に関する問題である。 非科学的な話になるが、人がパンツを愛しているほどにはパンツは人を愛していない。 これは断言しても良い。 わたくしの場合、寝ている間に無意識的にパンツを脱いでしまうのだが、これを布団の中で手探りで穿き直そうとすると、98%の確率で穿き間違える。 裏がえしだったり、前後が逆になったり、一つの穴に足を二本入れてしまったりと、スムーズに一発で正しく穿けることはまずないと言って良い。 ぼくがこれほどパンツを愛しているというのに、パンツはそれに答えてくれないのだ。 パンツの心を掴むにはどうすればいいのか。どうすればパンツを間違えずに穿くことができるのか。それは人として何か重要な部分に関わっているような気がするのだが、考えれば考えるほどぼくには答えがわからなくなる。 もはや科学的アプローチでは限界がある。パンツを探求する道のりは、いまや心の領域にまで到達しているのだ。 |
| ■ 2006/01/09 |
小さい生き物萌えばかりで。ストーリーなんて何もないかも。 まあ、それもまたよし。 どうでもいいけど、飼ってるわんこをモデルの一つにしてヒロインのキャラを創るって、今頃言うのもなんだが結構どうかしてる。 |
| ■ 2006/01/09 |
![]() 手の上で寝られて動けなくなる。 ちなみにうちの犬は、寝る時は必ずアゴを人の上に載せて寝るのであった。 それにしても、正月は仕事をするはずだったのだが、犬を抱っこするのに忙しくて何もできなかった。 こたつに座っていると、無理やり膝の上に乗ってきて、 「抱っこして。寝るから抱っこして」 とせがんでくるのであった。で、抱っこして一時間ぐらい経つと、 「腕まくらして。寝ころんで腕まくらして」 とせがんでくるのであった。で、腕まくらして一時間ぐらい経つと、 「こたつ入れて。寒いからこたつで足首まくらして」 とせがんでくるのであった。 そんなわけで、あまりに多忙で、さすがのぼくも原稿まで手につけている余裕はなかった。 できる男には次々と仕事が舞い込む、ということだろう。 最近はこんな落ちばっかりだ。 |
| ■ 2006/01/02 |
残念ながら、ダンディのダの字もわかっちゃいない皆さんにそれを教えるわけにはいかない。 ぼくのダンディぶりに憧れるのは理解できるが、ダンディとはそんな甘いものではない。 ダンディだって結構たいへんなんである。 毎朝ダンディ朝食を食べダンディバスに乗ってダンディ通勤せねばならないし、営業先ではダンディ土下座やダンディ接待も欠かすことはできない。 それでもぼくのようなダンディになりたいと言うのならば、まずは自宅のビリヤード台で球を突きながら事件の推理をしたり、着古したコート姿のままソファで寝たりして、己のダンディズムを鍛えるところからはじめてもらいたいものである。 ダンディとハードボイルドを取り違えているような気がしないでもない。 |
| ■ 2005/12/30 |
物語作家は、自分や他人の不幸を抽出することで、そこから欠落の回復へと進む運動を描きます。ということはつまり、作家とはたいてい不幸なクズ野郎なわけです。ぼくのような駄目人間とゴミクズ仲間になりたいという特異な方は、この賞に応募するとよいと思います。 そして、今年はこんなことを書いた。 物語の運動には、予め意図されたものと、書く場での言葉の圧力から自然に生じるものとがあります。両者を操って読者の心を一定方向に誘導するのが物語作家の有りようです。心の操作に自信がある悪い人は、この賞に応募するとよいと思います。 さすがはダンディ市在住のわたくし。まったく実にいいことを言う。 あえて今ここに付け足すとするならば、それは、 「長州小力は、よく見ると意外にシュッとした顔をしている」 ということぐらいだ。 |
| ■ 2005/12/26 |
自分で読んでみたが、確かにどうかしてる。 それにしても、この日記はいつも適当に文章を連ねているので、二日経つと書いたことを忘れていて新鮮だ。 一度読んだマンガとかも、これぐらい簡単に記憶を消せたら毎回新鮮に読めるのになあ。 とか考えながらカイジを全巻読み返してたら、いつの間にか一日が終わってた。 今日も変わらず、ぼくは仕事のできる男であった。 |
| ■ 2005/12/24 |
歩く歩道を、しりを半分露出させて女性は歩いていた。 そういうファッションだったのか、それとも誤って出ちゃってたのか、ぼくには未だにわからない。 なんにせよ気になるのは、しりの不思議である。 しりというのは、なぜかそこに存在するだけで、妙な面白みがある。昔のギャグまんがに、いきなりしりみせというギャグもあったぐらいだ。お笑い芸人も、困ったらしりを出したりする。聞けば、しりを見せるのは卑怯、という不文律さえあるそうである。 そこにいるだけでクスクス陰でみんなに笑われる、などということを思うと、しりの気持ちを思って胸のあたりが痛くなる。 いまもどこかで、お調子者がしりを出している飲み会が行われているのかもしれない。みんなに指をさされて笑われるしり。哀しみに心が痛む。 しりはもっと人々に祝福されるべきだと思う。 外に出した瞬間、戦場に空から光が差し込んだり、マリア像が涙したりするような、そんな祝祭的なしりがあっていい。 クリスマスという祝いの一日は、そうした深い思索をぼくに与えた。 |
| ■ 2005/12/22 |
まったく、世の中は広い。天才はぼく以外にもいるというわけである。 あやうく盗作作家として世界に名を馳せるところであった。 などという話はさておき、ずっと昔に書いた習作のことを思い出した。 「共時性現象によって水の凝固点が突然40℃ぐらいになり、人間が次々と凍っていく」 というSFだった(習作なので世の中には出てません)。 が、後でなんと海外のSFに同じネタで書かれた短編があることがわかり、世間に出してなくてよかった、と胸をなで下ろしたことがあったのであった。 いやはや、ネタのかぶりというのは怖ろしい。 特殊設定なほど、逆にかぶりやすい部分があるというか、かぶると目立つというか。 ぼくの「身体が動かない天才少女を抱っこして賭けチェス」とか「女の子が哲学で乱闘する」とか、そのあたりももしかしたらどこかに似た設定の話があるかもなどと考え出すと結構怖くなる。 毎回なんらかの特殊設定を提出せねばならないミステリ作家やSF作家の方はたいへんだ。 そういう理由からではないのですが、次に書く話は、世界はオーソドックスで、人と人の関わり合いの方に工夫をした話になると思いますよ。 |
| ■ 2005/12/20 |
という渾身のだじゃれを、昨夜考え出した。 自分が生まれ変わった気がした。 使わないけど。 ※ブリーデン:30年近く前のタイガースの助っ人外国人。確か巨人の星にも出てた。 |
| ■ 2005/12/18 |
夜中に、人生の幸福について話をしてた。 で、その際、 「最近は、もやしのヒゲ根を地味に取っている時だけが幸せだ」 と告白した瞬間、その場にいた全員から、 「ヒゲ根、食べますよ!」 「ていうか、ヒゲ根があるからおいしいんでしょう!」 「茎しか食べないから、あなたはバカなんだ」 「ヒゲを侮辱するなんて狂っている」 「茎だけ食べて一生引きこもってればいい」 「謝れ。ヒゲに謝れ」 と、人間失格と言わんばかり、というかすでに言っちゃってる勢いで、一斉に非難を浴びる。 などと書くと、こないだのあんまんの話もあって、ネタだと思われそうなのがシャクだが、だいたい事実だ。 たぶん、ぼくの裡にある何らかの染色体が、こうした事態を招いている。 あと、「ヒゲがうまい」とか「ヒゲに栄養があるのに」とか連呼する編集とマツバラさんが、妙に特殊でおもしろかった。 |
| ■ 2005/12/15 |
このアルバムはわたくしも持っていて、いまもCDラックに入っているのだが、そのタイトルにはつい目が行ってしまいがちなわけである。 vovin。ヴォヴィン。 どうやら英語ではないらしく、意味がわからない。 ボインの格好いい級? といった想像が脳裏をよぎらざるをえない。 実際、それを口に出してみると、ある種の満足感とともに「ヴォヴィン……」とうっすら目を細めてしまう自分に気づく。 すでに死語として認識されているボインである。それがこんな形で生き延びていたかと思うと、我が感慨もひとしおである。 といったことを思索していると、しまいにはポエムとか戊辰戦争とかにも反応するようになり、想像力という夢の翼を得て、ロマンは限りなく広がってゆくのである。 |
| ■ 2005/12/11 |
深夜、某暗闇男が唐突に、 「ぼくはもうすぐ英雄になりますよ」 「ついにぼくも英雄ですよ」 などと言いだした。 明らかにどうかしているその言葉に、常識人のぼくは、 (なんだこいつは。とうとうネジが外れたか) と生温かい目で彼を見ていた。 が、8秒ぐらいのタイムラグを経て、「au」だと気づいた。 脳のネジが外れていたのはこちらだった。 ていうか、九州では関西弁の「英雄」のイントネーションで「au」を発音するんですかね。 それとも、ぼくの前意識がだじゃれを欲求しているんですかね。 ふとしたはずみから自分という存在の有りようを問われた気がして、胸の裡に不安がつのる。 |
| ■ 2005/12/08 |
夜中に肉まんとあんまんの話をしてた。 で、その際、 「いっつも思うんだけど、あんまん食べるやつっていてるんかなあ。買ってる人見たことない。だいたい、あんパンがあるのにあんまんの意味がよくわからない」 と発言した瞬間、その場にいた全員から、 「あんまん食べますよ!」 「ていうか、あんまんの方がおいしいでしょう!」 「肉まんしか食べないから、あなたはバカなんだ」 「あんまんを侮辱するなんて狂っている」 「肉まんだけ食べて一生引きこもってればいい」 「謝れ。あんまんに謝れ」 と、人間失格と言わんばかり、というかすでに言っちゃってる勢いで、一斉に非難を浴びる。 そんなにもぼくは悪いことを言ったのか。 というか、これほどの権威をあんまんが現代社会に確保していたことに驚く。 そして、それを知らずに生きていた自分の罪深さというものに、深く思いを馳せざるをえない。 ただ、悲しいかな、敬虔なぼくには今なお、肉まんへの帰依も捨てがたいのだ。信仰と社会現実の狭間で、ぼくは悩み苦しむ。 生きるって、つらい。本当につらいよね……。 そんな人間の普遍的な哀しみを教えてくれたあんまん。 |
| ■ 2005/12/04 |
「制覇するフィロソフィア(仮)」というタイトルで書いてた次回作が、今度こそほんとに完成。 思えば、おおよその形ができたのが3ヶ月前。 自分の遅筆ぶりに、いまや目を瞠る勢いですよ。 それにしても、ここ一年はエディタを立ち上げると目眩や吐気が生じるという事態。 それができあがると治ってしまうのだから、心というのはゲンキンなものです。 そうこうしてるうちに、久しぶりに大きい流れの話を書きたくなった。 「大きな流れの中で、たくさんの人物がいろいろ関わり合う」 というタイプの話。 最近はこういう形式のお話はなかなか書かせてもらいにくい世間の状況らしいのですが、どうやら書かせてもらうことになったようで。 この形のお話は久しぶりなので楽しみ。 他の予定と交互に進めてみたい所存。 と、めずらしく仕事関連の話だけしてみた。 |
| ■ 2005/11/30 |
監視役として美少女編集者Fさん(メイン)とJ−BOOKSの新ヒゲ編集者Sさん(応援)が来ていた。 で、 電話向こうのSさん 「今から行きます。何か差し入れ持って行きましょうか?」 Fさん(我々に) 「差し入れ、何か欲しいものとかあります?」 わたくし 「ではマンションを一つ……」 Fさん(電話で) 「定金さんがマンションを一つだそうです」 Sさん 「それはムリです」 という会話をした。 数時間後、 Fさん 「買い出しに行ってきますけど、何か要るものあります?」 わたくし 「では、愛をひとつ……」 Fさん 「わかりました」 で、三十分後、 Fさん 「愛、買ってきました」 わたくし 「って、ビーフジャーキーじゃないですか!」 Sさん 「……乾いてるんだ、愛(笑)」 わたくし 「……ああ……うまいこと言われた……」 という会話をした。 |
| ■ 2005/11/14 |
この劇薬は、わずか10ccほどを肺に吸引しただけでも死に至る可能性を持つという極めて危険な物質なのであった。 ちなみに、液体の名称は「酸化水素」という。 0℃以下で保存して固形化したものは、鈍器として殺人に利用されることでもよく知られている。 これをコップ二杯分も一気のみするのだから、もはやわたくしの漢ぶりは留まるところをしらぬとさえ言えよう。 よい子の皆さんはマネしないように。 この鋼の肉体あってこその冒険なのでありますよ! もうすぐコバルト・ダッシュ文庫の新人賞受賞パーティがあるらしい。 なんとわたくしの誕生日とかぶってますよ! でも何の問題もなく出席。 会場の人はわたくしの誕生日を祝うために集まっている、と信じ込んで自らの魂を救済するという作戦を雄々しく立案中。 |
| ■ 2005/10/24 |
1周目にカカって行ってしまったときはどうなることかと思いました。 無事トップでゴールしたときは、なんか安堵で椅子から崩れ落ちましたよ。 赤の他人の事なのに。 しかも馬券負けてるのに。 武騎手のコメントで見ましたが、走るのが大好きで頭の良い馬なので、ゴールが見えたら勝手にスパートしちゃうそうですね。 実際、1周目正面では、 「あーー、早く走りたいー。あ、2つめのコーナーだ。ここまで来たらもう思いっきり走っていいんだよね。え? どうして? なんで走らせてくれないの? なんで? なんで?」 みたいになってるディープを武さんが必死になだめてて、なんというか微笑ましい感じでした(無事終わった今から見れば)。 なんにせよ、こういう賢いタイプの馬は、一度レース中にケガをして「イタッ!」と思ってしまうと、それっきり走らなくなってしまうことがあるそうなので、それだけが心配。 ナリタブライアンとかがそうでしたが。 それにしても、同じ無敗の三冠馬でもルドルフ様とはぜんぜん雰囲気が違いますね。 あっちは、 「あーー、走るのめんどくせえ……。わかったわかったわかりました。ゴールでちょっと前に出とけばいいんでしょ? ばかばかしい」 みたいな感じだったのに。 ところでこのディープインパクト、小柄で可愛らしい顔をしてるせいか、牝馬にはゼンゼンもてないんだとか。 小柄で女の子みたいな顔つきでありながら最強の力を持ち、しかし恋愛だけは苦手。 わたくしの中で、ライトノベルの主人公度がさらに1ポイントアップ。 |
| ■ 2005/10/21 |
楽天の監督に野村さんが就任するそうですね。 わたくし野村監督って、結構好きなんですよ。 なんか可愛らしいというか。 人間形成がどうのとか言いながら、自分はついつい人がカチンと来るようなことを発言しちゃったり、いじけたことばかりテレビで言ったり、でもいつも野球のことしか考えていなかったり、みたいなところを見ると、なんというかもう、母性本能がくすぐられると言いますか。 ってなことを人に話したところ、 「どうかしてる」 と言われる。 えー。眼鏡っ娘やメイドの次は、おじいちゃん萌えの時代が来ると読んでるのに。 おばあちゃん萌えも可。 |
| ■ 2005/10/18 |
あんな興奮したのは、わたくし前世に関ヶ原の合戦で討ち死にしたとき以来のことですよ! それぐらい全身鳥肌でしたよ! 凄すぎた。 それにしても、終盤に打球を好捕されてしばらくへたり込んでしまったロッテの選手の顔とか、祈るように応援しているソフトバンクの女性ファン達の顔とか、ホームの交錯プレーで必死でアピールするキャッチャーの顔とか、負けた後ベンチで泣き崩れている選手や裏方さんの顔とか、そういう心に強く残る顔のかたちを見ると、 (こんな映像に物語で対抗できるもんだろうか) としみじみ遠い目をしてしまうのであった。 箱根駅伝なんかを見たときにも、よく思ってしまうことなんですが。 ところでふと、昔日記で書いたターミネーターさんのことが頭に浮かんだ。 あらゆる話題をターミネートするため、周りにターミネーターと呼ばれていた方のことです。 すごく印象的な人だったので、いまでも折に触れては思い出すのであった。 確かワールドカップの話題に対しては、 「あー、おれサッカー一切興味ないんだよね。てか、他人の勝ち負けに一喜一憂してるヤツって、バカっぽくね?」 と見事にターミネートしてた。 あの人だったら、この話題はどうターミネートするだろう。 直接の知り合いじゃないので会う機会がないのだけど、作家として結構気になるのであった(皮肉ではなく)。 それにしても、ホークスは馬原といい和田といい川崎といい斉藤といい、なんであんなに映島巡がヨダレを垂らしそうな美形ばかり揃ってるんですかね。 いまどき、少女漫画でもあんなに美男子ばっかり揃えませんよ。 ちょっとやりすぎです。 |
| ■ 2005/09/25 |
あまり行かないのですよ、牛丼屋さん。 好み的に、もうちょっと醤油味が薄くてもうちょっと甘い方が好きなので、牛丼が食べたくなったら自分で作るのであった。 自作だと、豆腐やしらたきを入れたり、気分によってネギや春菊を入れたり、完成の舞を踊る時間を調節したりできますしな。 ところでその牛丼屋で、僕の前方に座った大学生ぐらいの男女四人組が、「キムチ牛丼、キムチ抜きで」とか「牛丼特盛、つゆだく、牛肉は抜きで」とか注文してた。 バラエティ番組とかでありがちなイタズラである。 四人、店員さんが困っているのを見て、クスクス笑っていた。 そして、周りをチラチラと見やりながら、 「おれたちはこんなバカやってるけど、お前たちみたいな平凡な人生とはひと味違う青春時代を送ってるんだぜ」 といった満足げな顔をしていた。 店内を見渡すと、店員を含め、その場にいた人の多くが、何か可哀想なものを見るような目をしていた。 (ああ、この子たちもいずれ『気づく』んだろうな……) といった感じの痛々しい目であった。 人生の機微というか何というか、じつに面白いものを見た。 |
| ■ 2005/09/08 |
ソーセージ丼とは、定金グルメの中でも最上級に贅沢なメニューの一つなのであった。 レシピは以下のようであった。 1.ソーセージをフライパンで焼く。 2.ついでに目玉焼きも焼く。 3.納豆をかき混ぜる。 4.以上をすべてどんぶり飯の上に載せる。 5.完成の舞をパンツ姿で小一時間踊る。 最近、 「日記いつも読んでます。へなちょこ話はどこまでほんとなんですか?」 というメイルが多い。しかも女性の割合が高い。 これに対しては、 「この日記に書かれていることは、すべてウソである」 と答えておこう。 ちなみに、 「すべてウソということは、『この日記に書かれていることは、すべてウソである』という文章自体もウソになるから、日記の文章はすべて本当になるのだけど、すべて本当だとしたら『この日記に書かれていることは、すべてウソである』という文章も本当になるから……」 というパラドックス。 ところでこのパラドックス、実は論理学的にはパラドックスではない(不完全なパラドックス)。 どこが誤っているのかわかるでしょうか。 そしてわたくしは本当にへなちょこなのかどうかわかるでしょうか。 正解された方には、幸せか愛を差し上げます。 発送をもって発表にかえさせていただきます。 前回の日記に関して、「今までも、胸がぺったんこのキャラが出てましたよね」というメイルが来た。 補足しておこう。 「胸がぺったんこ」というのも、おっぱいという性的象徴から派生した一つの記号なのである。 そういうのを、できるだけ排除してしまおうというのが今回のたくらみなのであった。 というか、記号を使うにしても、何か他にない新しいことをやりたいのよというのが正直なところなのであった。 それにしても、こんなにおっぱいおっぱい言っている作家のサイトが他にあるだろうか。 まったく、我ながら実に立派な態度である。 |