朝。 「やあ、おはよう、姫」 「ふん、じゃ」  昼前。 「やあ、昼ごはん一緒に食べないか」 「ぷい、じゃ」 午後。 「やあ、ところでこないだ頼まれていたことだけどね」 「あっちにいけ、じゃ」 「……」 そして夕方。 「・・・・というわけで、姫にたいそう嫌われてしまったみたいなんだ。どうにかならないかなあ」 「もう、自業自得ですわよ。姫様があんなに痛めつけられていたのを、あなたは何もしないでただぼうっと見ていたっていうんですもの」 「そこを何とか君の取りなしで・・・・」 「だめです! 子供じゃないんですから、それぐらい自分で何とかなさい」 「子供でもいいから」 「だめ!」 「……」  ヴァレリーは仕方なくしょんぼりして、とぼとぼと部屋に帰っていった。肩を落としたその後ろ姿を見て、シャラザードは軽くため息をついた。 「もう、しょうがないわね」  優しい母親であるシャラザードは、自分の子供ががっかりしているのには耐えられないらしい。甘いとは知りつつ、彼女はこの時も、結局ヴァレリーを助けてしまうのであった。  美しい黒髪をわずかに揺らしながら、シャラザードはエルシードの部屋に向かった。そして扉をたたいてから、彼女は部屋の中に入る。  エルシードは机の前に座り、あごを両手の平で支えながら、ぷりぷりしていた。 「姫様、ちょっとよろしいですか」 「……なんの用じゃなのである」  椅子に座り、両足を交互にぶらぶらさせながら、エルシードは不機嫌そうに答えた。彼女は身体が小さいので、椅子に座ると足が地面に届かないのだ。とはいえ、足が下に届かないから機嫌ななめなのでは、もちろんない。 「どうして、父に意地悪をなさるんですか」  彼女の父とは、ヴァレリーのことである。実際はヴァレリーはシャラザードの子供のようなものなのだが、一応戸籍上は彼女の父ということになっているのである。じつにいい加減な父親である。 「どうしたもこうしたもないのじゃ、なのじゃ!」 「それは、姫様があんなひどい目にあっているのに、知らんぷりした父も悪いですけど、あれでもすごく姫様のことを心配してるんですから。もう許してあげてくださいな」 「ん、そういえばそんなこともあったな……でも、私が怒っているのはそんなことではないのじゃ」   おそるべきことに、エルシードはすでに昨日のことはすっかり忘れ去っていた。しかもそのついでに、あれだけ痛めつけられていたはずの身体が、もう傷一つないまでに回復している。心身ともに、まったくもって便利なものである。 「まあ、じゃあどうして」  シャラザードは姫君の怒りの理由が分からず、そのエルシードの瞳をのぞき込むようにして尋ねた。シャラザードの瞳は、エルシードも引け目を感じるほど美しい。王妹の少女は、ほとんど反射的に目をそらして横を向いた。 「だって、昨日、夢を見たのじゃ」 「はあ?」  シャラザードはわずかに眉をひそめた。 「夢の中で、わたしは荒野をさまよっていたのじゃ。水も食料も尽き、もうどうしようもなくなって、ただひたすら南へと進んでいた。ずっとまっすぐ歩いていれば、そのうち何とかなるじゃろうと思ってじゃ」 「ちょっと待ってください、それが父とどんな関係があるというのですか」 「いいから聞けなのじゃ。わたしはその後、歩き続けること丸一日だったのじゃ。  それでも、やはり周囲は見渡す限りの荒野で、人どころか昆虫の類も見あたらない。わたしは、東か西に進路を変えようかとも思ったが、やはりそれまで通りまっすぐ進み続けた。  そして、しばらくそのまま歩くと、運のいいことに突然大雨が降りだした。わたしはその雨水でのどを潤し、再びまっすぐまっすぐ歩き出した。 その雨水だけで三日間わたしは耐え忍んだ。が、その水も再び尽き、わたしは遂にその場にしゃがみ込んだ。そして途方に暮れて足下を見ると、そこには小さな草が生えていた。わたしは一瞬、それを引き抜いて食べようかと思ったが、貪ってまで生き抜くのは武人の恥なので、やめたのじゃ。 その時、朦朧とした意識の中でわたしがふと目を上げると、なんと視界のうちに一つの人影が見えたのじゃ。その人影はだんだんわたしの方に近づいてきた。そして、その人影は、よく見てみると、なんとヴァレリーだったのじゃ。わたしは、彼が助けにきてくれたと思った。  しかし、それは間違いじゃったのじゃ! あやつはわたしの苦しみにも気付かぬ様子で、にやにやしながらわたしの横を通り過ぎていったのじゃ。いかにも涼しげな格好をして、水をたっぷり飲みながら、じゃ。そしてその後、あやつは、わたしがやってきた道と逆方向にとっとと去っていった。引き返すことにはなるのじゃが、わたしはその時怒りにまかせて彼を追った。しかし、しばらく南へ引き返したところで遂に力尽き、そこにわたしは倒れ込んだ。その瞬間、わたしはようやく夢から覚めたのじゃ。  じゃが、たとえ夢の中であろうと、死にかかっているわたしを無視したヴァレリーは、絶対許せないのじゃ!」 「そんな、夢の中のことで……」  シャラザードは一瞬ヴァレリーに同情しそうになった。しかし、よく考えれば、状況は多少違えど、前日にヴァレリーは実際にエルシードを助けなかったのだ。やっぱり、同情の余地はないわね、とシャラザードは思い直した。  しかし、シャラザードは、エルシードとヴァレリーがけんかをしているのには耐えられない。そこで、彼女は機転をきかせ、エルシードの夢の内容を逆手に取った説明をして、ヴァレリーを窮地から救ったのである。  さて、その彼女の説明とは一体どんなものだったのだろう。